田中邦衛を偲ぶ
『北の国から』が放送されたのは私が大学生の時です。
放送開始2ケ月目の正月
に麓郷を訪ねました。バス停から10分位で小屋に着き、
思った程へきち感はありませんでした。
黒板五郎は私の理想の父親像であり、自身の理想でもありました。
先日、友人宅で訃報をしり、次の朝またニュースを見て嗚咽して泣きました。
地井武男のお別れ会で、「数か月前にあったばかりなのに、あれは俺に別れの挨拶をしに来たのか~」
今会える人には出来るだけ会っておきたい。自分には数か月後にどうなっているか、わからない。
そんな気持ちでした。
ドラマ内でほたると言う名前は自分の周りをまとわりつく様な娘になって欲しいと
付けられた、そんな感じのセリフがありました。
「お兄ちゃんは?」とほたるが聞くと「純はかあさんが付けた」と。
私の大好きなシーンです。
この頃からログハウスを建てて住みたい、と思うようになりました。
コロナの思惑
2021年04月19日
コロナが中々過ぎ去りませんね。
私は昨夏過ぎ位からこれは感染症というより、単なる流行り風邪だなと、思っています。
ヨーロッパやアメリカで騒ぐのは仕方ないかも知れませんが、日本での感染者は1年間で
人口の0.02%だそう、99.8%はかかっていないんです、そんな感染症ってあるんですか?
何故、政府やメディアはこんなに騒ぐのか分からないでいました。
それが少し分かった気がします。
オリンピックです。
多分、彼らはオリンピックに向け劇的な回復を仕掛けてくるのでは?
ただの回復でなく劇的な回復でオリンピック成功に導こうとしているのです。
そのためにはこれから感染者をGW過ぎ迄、出来れば今までで一番多い位に伸ばすと思います。
GW前位から首都圏でもまた非常事態宣言を発表し、最多数を付けその後
劇的な回復をしオリンピック安全宣言を発表すると思います。
どうやって感染者を操作するかは、PCR検査です。
現在も操作されていると思ってます。
私に推察が間違っていたとしたら、日本は先進国で一番遅く迄、コロナと戦う事になります。
たかだか500人で非常事態宣言を出し、ワクチンは来ないんだから。
以前、「私が思う感染者大幅削減する方法は、メディアのニュースを見ない!」と書きましたが
今でもそう思ってます。
ゲルに泊まる
2021年03月05日
自分でゲルを購入するにあたり、日本でもゲルに泊まれる場所を調べて見ました。
1 那須のテンゲル 私も数年前に泊まったことがあります。ゲルも冷暖房完備で身近にモンゴルを感じられる場所でした。
2 香川県 直島「つつじ荘」 素泊まり3500円から泊まれます。ここではパオと言っています。
3 兵庫県篠山市 オータニモンゴルの里 2食付き9800円~
4 旭川モンゴル村 音楽祭なども行っているようです。1泊5000円~
5 福寿の里 モンゴル村 岐阜県 デールも着られるぞ、1棟8200円
6 富士山こどもの国 キャンプ内施設でパオに泊まれるようです、1泊2550円~
7 airbnb 長野県小諸市 寝袋で10名泊まれるそうです。3850円~
8 airbnb 神奈川県相模原市 モンゴルからの輸入品、18000円
9 airbnb 千葉県いすみ市 2名115ドル~(現在closed)
探せばまだありそうです。
今回ゲルを輸入するにあたり山梨でゲルでの宿泊をする方のコンテナで同配送してもらう事になりました。
その宿泊施設にも行ってみたいと思ってます。
ターコイズの空の下で(ネタバレあり)
2021年02月27日
ほぼ1年ぶりに映画を観に来ました。
この映画、モンゴルが舞台のロードムービーです。
ストーリーは第二次大戦後、モンゴルで捕虜生活をしていた三郎が現地の娘と恋に落ち子供を出来たものの日本へ帰還する事になる。
現代の彼は会社社長であるが死期が近く、道楽孫?にモンゴルの自分の娘を探しに行かせる事となる。その案内役に自分の持ち馬を盗んだモンゴル人をつかせることになる。
この映画、モンゴル感を見せたいのだろうが馬頭琴、ホーミー、乗馬や狼、ツァータン、大草原など盛り沢山すぎてストーリーがてんやわんやな感じです。
馬泥棒を雇う事も何の手掛かりもなしに娘を探しに行くだの、細かい事は気にしてなさそうな作品です。
あと立ちションシーンが何度もある、初めは車の陰でしていたタケシが慣れるにつれてアムラと2人並んでする様に、これはタケシの成長を意図するのか?
題名のターコイズ色の空はあまり見られなかった、あと満天の星も。
モンゴルにはまだまだあるぞ!!
車から馬へ
2021年02月21日
電気自動車が発達すると完全に自動運転の時代になるそうです。
そうなると運転の好きな人は俺たちの運転を奪うな!と言い出すかもしれません。
そんな時は馬を操作する事で運転ストレスを無くすのでは?と思いますが。。
現にアメリカでは車社会が来る前に人々は馬による移動手段を取っていました。
彼らは車社会の過渡期に俺たちの馬での移動を奪うな!と言ったとか言わないとか。